近年、学生起業家の増加に伴いベンチャー・スタートアップ企業も増加傾向にあります。そのため、政府としてもこれらの企業を応援する取り組みを強化しています。
経済産業省の資料によると、国内スタートアップへの投資額は2014年時の1,446億円から2022年には9,889億円に増え、8年間で投資額が10倍に成長しています。
参考:スタートアップの力で社会課題解決と経済成長を加速する|経済産業省
こうした潮流の中で、日本におけるベンチャー・スタートアップ企業は今後ますます増加していくと考えられます。
本記事では、ベンチャー・スタートアップ企業における法務の役割や法務人材が果たすべき役割について述べた上で、ベンチャー・スタートアップ企業の法務に携わるメリットなどを述べていきます。
| 【本記事のポイント】 ◆ベンチャー・スタートアップ企業における法務は、先進的な技術やサービス、その成長性から、ルールとの向き合い方が課題となる。またガバナンス体制を未整備の状態から構築し、企業運営の健全性を担保していくことが課題となる。 ◆ベンチャー・スタートアップ企業において、法務人材は、新しいプロダクトやサービスを展開するため、正解のない課題に対して向き合う必要があるとともに、法務以外の様々な分野に挑戦することができることなどのメリットがある。 ◆ベンチャー・スタートアップ企業の法務人材として活躍するには、ビジネスセンス(ビジネスとして最適解を作るマインドとリスクとリターンのバランス感覚)と、カオスな環境への耐性がポイントとなる。 |
ベンチャー・スタートアップ企業の特徴と課題
まず、ベンチャー企業やスタートアップ企業の特徴と課題をみていきます。
ベンチャー・スタートアップ企業の特徴
1つ目は、事業の先進性と成長性です。ベンチャー企業には一義的な定義はありませんが、1つの例として次の定義があります。
ベンチャー企業とは、革新的な技術・製品・サービスを開発し、イノベーションを生み出す企業であり、設立数年程度の若い企業。
上記の定義から、基本的な特徴として商品・サービスそのものの革新性、先進性があることが挙げられます。
そしてこの基本的な特徴から、事業としての成長可能性があり、次世代の社会を形作るような商品・サービスを展開することが期待されることも、要素として挙げられるでしょう。
なおスタートアップ企業は、意味合い的にベンチャー企業の中でもとりわけ事業のステージが開始間もないような創業期のフェーズにある場合を指すものと考えられますが、厳密にはベンチャー企業にいう概念に重なります。
本記事でも、基本的にはベンチャー企業の中にスタートアップ企業の意味合いも包摂するものとして、記載していきます。
ベンチャー・スタートアップ企業のステージ別のカテゴリ分け
ベンチャー企業のカテゴリは、資金調達の観点とプロダクトの成熟段階の2つのポイントから整理することができます。
| カテゴリ | 資金調達 | プロダクトの成熟度 |
|---|---|---|
| シード | 設立からシリーズA実施まで | テスト版のサービスやプロダクトをローンチしている |
| アーリー | シリーズAの資金調達完了 | 本製品・サービスをローンチした段階 |
| ミドル | シリーズBからCの資金調達が完了 | 本製品やサービスの拡大期 |
| レイター | シリーズDの資金調達が完了、IPO準備段階(N-2以上) | 本製品やサービスの拡大期、M&Aや業務提携が進行しているなど |
ベンチャー・スタートアップ企業が直面する主な課題
ベンチャー・スタートアップ企業は、様々な課題に直面します。
主なものとしては、資金調達で、エクイティによる場合はVCとの調整の中で資本政策が重要な課題です。
またプロダクトの競争優位性を高めるための施策として、プロダクト自体の固有性を高める意味で特許を中心とした知財戦略が必要となります。
また、許認可などの参入障壁を越えていくために、政策渉外・ルールメイキングといった領域も注目を集めています。
さらに、組織として成長していくにつれて、コーポレートガバナンスやコンプライアンス体制の整備も不可欠となっていくでしょう。
いずれもルールとの向き合い方と、専門的な法律知識が必要です。
こうした背景から、ベンチャー・スタートアップ企業における法務人材ニーズの増加につながります。
ベンチャー・スタートアップ企業において法務が重要な理由3つ
では、ベンチャー・スタートアップ企業において法務が必要とされる理由はどのような点にあるでしょうか。ここではより具体的に、3つのポイントにまとめて解説していきます。
事業展開における意思決定スピードの向上
ベンチャー企業は、革新的なサービスの開発によりイノベーションを生み出す企業であることから、常に時代の最先端を走るスピード感が何よりも重要になります。
したがって、会社経営に際しては意思決定のスピードを向上させることが必要であり、これは法務の面からしても同様です。
契約書のチェックや事業の適法性チェックなど、事業の意思決定に法務の存在は不可欠であり、スピード感をもって事業を前に進めていくためにも法務業務の効率化を図ることが求められます。
ベンチャー企業は大企業と比較して資金や人材確保の面での課題があることから、法務にリソースを割けない企業も多く存在するのが現状です。
しかし、ベンチャー企業のような時代の最先端を走る企業だからこそ、契約書に不備があったり、交渉が進まなかったりという事態が生じて事業展開に遅れが発生することは致命的であり、法務が果たすべき役割が非常に重要であると考えられます。
ビジネスモデルのリーガルリスク排除
ベンチャー企業は新しい分野に挑戦するという特性上、ビジネスモデル自体に法的な問題が内在している可能性があります。
法的な面からのチェックを怠ったままビジネスを遂行した場合、行政処分の対象となったり、資金調達や上場が困難になるなどの重大なリスクを負うことになったりするケースも。
サービス自体は革新的であったとしても、ビジネスモデル自体に問題があるが故に事業が遂行不可能となるリスクは避けたいところです。
したがって、法的な専門知識を有する法務がビジネスモデルを慎重に検討し、このようなリーガルリスクを事前に排除することが求められます。
IPOやM&Aの準備
ビジネスが拡大していくと、IPOやM&Aを目指すベンチャー企業も出てきます。
IPOとM&Aは、いずれもベンチャー企業がイグジット(投資回収)の手段として選択しますが、その手続の複雑で法務の存在は不可欠です。
IPOを目指す場合、J-SOX対応・内部監査が入念に行われ、形式審査・実質審査をクリアする必要があります。
コーポレートガバナンスや法令順守状況もチェック項目に含まれるため、社内におけるコンプライアンス強化が必須です。
M&Aは規模感やスキームが様々あり、手続的な煩雑さはIPOに比べて簡易な場合もあります。
一方で、ビジネス面の目的や戦略をもとに最適なスキームを組むためには、法務面のナレッジと共に適切な法務DDの実施が重要です。
事業を拡大していく上では、法務が必要となる局面が多数存在するのです。
ベンチャー・スタートアップ企業における主な法務イシュー
ベンチャー企業での事業展開において、法務面から課題となる主なポイントを3つピックアップして解説します。
ビジネスモデルの適法性と事業開発
1点目は、ビジネスモデル・スキームの設計において、適法性チェックやそれを踏まえた収益構造の設計などをおこなう事業開発に関する法務イシューです。
既存の事業領域やビジネスモデルの中で事業をおこなう場合は、同種・類似の事業をおこなっている他社の例をもとに許認可などの要否を判断することができます。
しかし、技術的に新規性が高いプロダクトやビジネスモデルが目新しいものである場合は、法令がない・あるいは法令上の位置づけが不明確であることも。
その分、リーガルリスクが既存の考え方の中では計れない難しさがあります。
往々にして規制は後付けで敷かれるため、規制が不明確な中で何の策も立てずに事業を進めると、潜在的なリーガルリスクが顕在化した際の対処は難しい傾向です。
事業の設計・開発の段階で適法性や法務的な理論武装を構築できるかどうかは、法務面での重要課題であるといえます。
資本政策
2点目は、資本政策です。
資本政策は、特にエクイティファイナンスにおいて資金調達の目的と株式比率のバランス、投資家への適切な利益配分と継続的な投資インセンティブを与えるために、重要な要素といえます。
その際には、法務面で適切に手続をおこなうことはもちろんのこと、株式の設計に関して法務面での知見がポイントとなります。
また、最適なコストパフォーマンスを実現するために、財務・税務面の知見と掛け合わせていくことが重要です。
目的によっていずれの面が重視されるかは異なりますが、構築したスキームを最終的に投資契約などの形に落とし込み最適化する上で、重要な課題となります。
契約業務とその他ジェネラルコーポレート
3点目の会社の日常業務に関わるジェネラルコーポレート業務は、基幹的な部分です。
特に契約業務は、事業を進めていく上での血液ともいうべき位置づけです。契約業務なくして1つ1つの取引を最適に実行することはできません。
契約書の作成・審査の段階から、交渉、そして締結から契約締結後の管理に至るまで、ライフサイクルをコントロールすることは、取引を適正に管理することにつながります。
そのため、契約業務を中心にジェネラルコーポレート業務をいかに盤石にすることができるかによって、企業運営の健全性や企業価値に影響を与えるといっても過言ではありません。
ベンチャー・スタートアップ企業の法務人材が果たすべき役割
ベンチャー企業において求められる法務人材の役割は、どのようなものでしょうか。
本記事では、リスクの体系化・機関業務の確実な遂行・ルールメイキング・攻めと守りのバランスの4つの観点から解説していきます。
リスクの体系化
法務はバックオフィス業務の中に位置づけられながら、経営管理の観点からリスクを適切にマネジメントすることが求められます。
そのために、事業の中におけるリスクを体系化する役割があり、個々の取引レベルでは契約業務の中でのリーガルリスクマネジメントがあります。
また、働く人の労働環境に関して、労務面のコンプライアンス体制を管理することも求められます(労務は法務とは別の部署が管掌することがありますが、あくまで包括的な管理は法務が目配せする必要があります。)。
CS業務との関係でも、顧客のトラブル対応に際しては法務が最終的なエスカレーション先となって、解決策を講じていくことが求められることもあります。
そして経営と関わる面では、アライアンスやM&Aの実行を担うこともあるほか資本政策にも関わります。
そうした会社内のあらゆる側面から、最適なリスクマネジメントをおこなう役割を担うのが法務です。
機関業務の確実な遂行
会社運営においては、株主総会、取締役会などの会議体運営のほか、登記業務、株式事務など様々な機関業務があります。
そうした業務は総務が担う場合もありますが、法的な手続面であることは否めず法務がバックアップしていくことが必要です。
そのような手続的な業務に関しては、グリップして確実に遂行していく役割を求められます。
ルールメイキング
ベンチャー企業はまだ世にない革新的なサービスを提供する企業であることから、未開拓の分野で事業を立ち上げる場合、その分野における法整備が整っていない可能性も十分にあります。
例えば、近年世界から注目されているビジネスの一つに、宇宙ビジネスがあります。
日本政府は2023年6月13日、今後20年を見据えた10年間の宇宙政策の基本方針「宇宙基本計画」を閣議決定し、その市場規模を2020年の4.0兆円から2030年代早期に8.0兆円に拡大する方針を掲げました。
宇宙は、いまだ人類が解明できていない無限の可能性に溢れており、そうであるからこそビジネスとしても無限の可能性を秘めています。
もっとも宇宙ビジネスをするにあたっての法整備はいまだ完全なものではなく、既存の法律では解決できない論点がいくつも存在するのが現状です。
起業家が「何が法律に抵触するのか」不明確な状態でビジネスを拡大していこうとする場合、法律の壁に直面して業務の遂行に支障を及ぼすという事態が生じる可能性があります。
今後は宇宙ビジネスのみならず、法整備が不十分な新規分野を開拓する起業家がさらに増加していくことが考えられ、そこで既存の法律を上手く活用し、事業を前に進めていくことが求められるでしょう。
ルールメイキングの成功例としては、電動キックボードが代表に挙げられます。
電動キックボードはこれまで原付バイク扱いであったため、運転の際には免許証及びヘルメットの装着が必須でした。
しかし、2023年7月に道路交通法が改正され、電動キックボードは「特定小型原付」という新たな区分に振り分けられることになり、免許証の携帯義務はなくヘルメットの装着義務は努力義務へと変更になった事例です。
法改正までには、法務や経営企画者が電動キックボードの安全性をアピールしたり、法改正に向けた様々な取り組みを実施したりしたことが背景にあります。
参考:2040年に1兆ドル市場 広がる宇宙ビジネスの領域と機会|日刊事業構想
「攻め」と「守り」のバランス
法務には、「攻め」と「守り」の役割があります。
具体的には、新規事業の立ち上げやM&Aなど、会社経営を積極的にサポートする法務を「攻め」の法務といいます。
他方、会社にトラブルが起きないよう事前にリスク回避の措置を講じたり、あるいは実際にトラブルが生じたりした場合には解決へと導くことを「守り」の法務という様に表現されます。
これまで法務に求められる役割は「守り」の法務、すなわち、会社に契約上のトラブルや訴訟案件が生じた場合等の対応が大半でした。
しかし、AIやIT分野など最新技術の急速な発展、グローバル化などの時代の変化により、法務に求められる役割も変化しています。
これまでのような「守り」の法務のみならず、時には自らルールを作り出し、法的な面からビジネスを加速させていく「攻め」の法務が必要です。
もっとも、どちらか一方に偏るのではなく、両者のバランスが非常に重要です。そのバランスは法的知見を有した法務だからこそ保つことが可能となるのではないでしょうか。
ベンチャー・スタートアップ企業で法務に携わる3つのメリット
ベンチャー企業の法務に従事することには、大手企業における法務にはないメリットが多くあります。ここでは3つのメリットを紹介していきます。
事業立ち上げ段階から伴走できる
ベンチャー企業は大企業と比較して、組織体制が未熟な企業が多数存在します。また、従業員数も比較的少ない傾向にあることから、個々人が裁量をもって業務に励むことが可能です。
とくに事業の立ち上げ段階は、ビジネスモデル自体の適法性チェックや取引関係者との膨大な量の契約締結など、やるべきことが多岐に渡ります。
ベンチャー企業の組織体制が未熟であることから、法務を1人で担うケースも少なくありません。
そうすると、立ち上げという貴重な段階から業務に携わることが可能となるだけでなく、裁量をもって業務に励むことが可能となります。
このような経験は、自分自身のスキルを飛躍的に向上させ、将来キャリアアップを目指す際のアピールポイントとなるでしょう。
多岐に渡る法務分野を経験できる
ベンチャー企業の中には、IPOやM&Aを目指す企業も存在します。
IPOは、審査基準がとても厳しく設定されており、IPOに成功する企業はわずか数パーセントといわれています。審査基準は形式面のみならず実質面も満たすことが求められ、法令順守状況は厳しいです。
これらの厳しい基準をクリアしてIPOに成功すれば、その経験は今後のキャリアの強みとなることは間違いないでしょう。
また、M&AはIPOに要求されるような厳格な審査はないものの、準備段階から踏むべき手続きが多岐に渡ります。
M&Aの効果を最大限発揮するためには、売却時期をいつにするか、シナジーがどの程度期待できるかなどを慎重に検討できるスキルです。
IPOやM&Aはそれを専門に扱っている弁護士でない限り、そう頻繁に経験できるものではありません。これらの経験も、ベンチャー企業だからこそ可能となるのではないでしょうか。
法務以外にも知見が広がる可能性
ベンチャー企業の法務は、法務以外の管理系の業務に携わる可能性もあります。
人材が潤沢であるわけではないため、掛け持ちで法務以外の分野にも取り組む必要が生じる場合があるためです。
具体的には、法務とともに、労務や経理、個人情報保護関係に関連して情報システムの業務、CS業務にも関わることも考えられます。
このようにベンチャー企業の法務では、法務以外の業務をおこなう可能性が十分にあり、法務人材としての価値を差別化する要素となり得るでしょう。
ベンチャー企業の法務には、そうした法務以外の分野にも積極的に取り組むことができる柔軟な姿勢や積極性も必要になります。
ベンチャー・スタートアップ企業に求められる法務人材になるためには
ベンチャー企業に求められる法務人材の要点として、まずはビジネスセンスになります。
具体的には、法務としての最適解ではなくビジネスとしての最適解を作るための法務であるという位置づけを明確に認識することです。
加えて、リスクとリターンを考えた上で法務としてブレーキをかけるのかアクセルをかけるのかを判断していくことが求められます。
また、カオスな環境への耐性も重要です。
ベンチャー企業は、様々な点で組織としての体制が不十分であり、「なぜそうなっているのか」分からないような案件や課題に直面することが数多くあります。
そうした環境の中でも、正解にたどり着くことを目的とせず、あくまでビジネスとして時々の事業フェーズや事業戦略の中での最適解を実行していくことが重要です。




















