戦略法務(せんりゃくほうむ)とは、会社の経営を積極的にサポートする法務を意味し、新規事業の立ち上げ・海外進出・M&A取引などの法的サポートなどが代表例として挙げられます。従来は「法務=紛争対応」というイメージが根強かったところですが、近年では、会社の経営戦略の一環を法務が担うという考え方も普及しつつあります。
戦略法務は、紛争の予防・解決を直接の目的とはせず、幅広く企業活動をバックアップする「新しい法務」と捉えることができます。戦略法務を効果的に機能させるためには、法務部と外部弁護士の役割分担が重要になります。戦略法務への適性を備えた人材を、自社の法務部と外部弁護士の双方で確保し、経営陣とともに経営課題を解決していきましょう。
今回は「戦略法務」について、臨床法務や予防法務との違い・業務の具体例・法務部と弁護士の役割分担などを解説します。
臨床法務・予防法務と戦略法務の違いsection
戦略法務は、「臨床法務」や「予防法務」と対比しながら論じられることがあります。臨床法務・予防法務・戦略法務の3つは、いずれも「企業法務」の一分野ですが、取り扱う業務の領域が互いに異なります。
臨床法務|実際の法的紛争への対応
「臨床法務」は、会社が法的紛争・トラブルに巻き込まれた際、会社に生じる損害を最小限に抑えることを目的とした法務です。たとえば、他社から何らかの権利侵害を理由に訴えられた場合、自社は損害賠償を支払うリスクに晒されます。
反対に自社の権利を他社が侵害している場合には、侵害行為を止めさせたうえで、これまでに受けた損害の賠償を請求しなければなりません。こうしたケースは、すでに法的紛争・トラブルが発生した段階にあります。臨床法務は、すでに発生している法的紛争・トラブルを、できる限り自社に有利な形で解決するために行われます。
予防法務|法的紛争を回避するための予防策
「予防法務」は、会社が法的紛争・トラブルに巻き込まれないようにするため、巻き込まれたとしても被害を最小限に抑えられるようにするための事前対策を行う法務です。
臨床法務は、実際に法的紛争・トラブルが発生した「有事」の段階で行われるのに対して、予防法務は「平時」の予防策として行われるという違いがあります。コンプライアンス強化の重要性が強調される時代の潮流に合わせて、近年では、予防法務の重要性もますます強調されるようになりました。
戦略法務|法的観点からの積極的な経営支援
戦略法務は、臨床法務や予防法務とは異なり、法的紛争・トラブルへの対応・予防を主眼とはしていない点が特徴的です。戦略法務の主眼は、会社のやりたいことを、法的に問題ない形で実現するためのサポートにあります。
経営陣や取引の相手方と協力して、会社に新たな価値をもたらすべく貢献するのが「戦略法務」です。
戦略法務において取り扱う業務の例section
戦略法務では、一例として以下に挙げる業務を取り扱います。
新規事業の立ち上げサポート
会社が新規事業を立ち上げる際には、
- 業法上の許認可の取得
- 新規取引先との契約締結
- 担当部署の体制整備
- 業務マニュアルの作成 など
多くの法的な論点を含む対応が必要になります。立ち上げ時期の法的検討が不十分な場合、後で監督官庁から指摘を受けて事業が頓挫したり、契約トラブルによって不測の損害を被ったりする事態になりかねません。
そのため新規事業の立ち上げに当たっては、戦略法務の一環として、法務部門が検討メンバーに加わるのが一般的です。なお新規事業が軌道に乗った後も、法務部門は紛争予防の観点からリーガルチェックを行ったり(予防法務)、都度発生する法的問題に対処したり(臨床法務)することになります。
海外進出のサポート
海外市場での取引を新たに計画する場合、
- 英文契約書のレビュー
- 現地の法規制の調査
- 現地オフィスの立ち上げ(法人設立・従業員の雇用など) など
きわめて複雑な法的対応が要求されます。海外進出に当たっては、国内外の弁護士と連携を行い、問題となり得る法的論点についての網羅的な検討を行うことが必要不可欠です。
企業の海外進出は、戦略法務で取り扱う分野の中でも、とりわけ複雑・難解です。
企業間提携のサポート
複数の企業が特定の業務について提携を行ったり、ジョイント・ベンチャーを設立したりする場合、当事者間の意思決定ルールや遵守事項などを契約で定めておく必要があります。
また、技術・営業等に関するノウハウ・情報の共有も行うため、機密保持のルールを定めておくことも不可欠です。企業間提携の契約交渉は、各当事者が自社の利益を最大化することを目指すため、非常にシビアなものになりがちです。
自社にとって不当に不利な条件を押し付けられないように、契約書を隅々までチェックして納得のいくものに仕上げていくことは、戦略法務の重要な役割と言えます。
M&A取引のサポート
2000年代半ば以降、企業間のM&A(合併・買収)が盛んに行われるようになりました。M&A取引の目的としては、買い手側は経営の多角化・機動的な新規市場への進出など、売り手側はオーナー株主のイグジット(株式売却によるキャッシュの獲得)などが考えられます。
M&Aは、別々の会社が実質的に一体となるという大々的な取引であり、買収金額も巨額となる傾向にあります。そのためM&Aの実行に当たっては、事前に徹底した『デューデリジェンス(対象会社の調査)』を行う必要がありますし、契約書類の慎重なチェックもきわめて重要です。
戦略法務を担う担当者は、M&Aに関する契約書類を隅々まで把握・確認することが求められます。さらに大規模~中規模の弁護士事務所と連携を行い、デューデリジェンスの膨大な調査を、人海戦術によって短期間で集中的に行います。
M&A取引においては、戦略法務が担う役割は非常に大きく、そのサポートなしではM&Aが成り立たないと言っても過言ではありません。
立法府・行政府へのロビイング活動
自社が事業を行う業界・業種を規制する法令の改正等に関して、国会や行政機関に働きかけを行うことを「ロビイング(ロビー活動)」と言います。
具体的には、業界団体として意見を取りまとめて提言を行ったり、各種公的委員会に委員等を派遣して意見を述べたりする活動がロビイングに該当します(当然ながら、贈賄等の犯罪行為は厳禁です)。ロビイングには法的知識が求められるため、法務担当者が経営陣のブレーンとして関与するケースが多いです。
決められた法令を遵守するだけでなく、自社が事業を営みやすいような法令改正等を誘導するロビイングは、積極的に経営をサポートする戦略法務の一環と捉えることができるでしょう。
戦略法務が重要度を増している理由section
戦略法務が重要度を増している背景には、市場のグローバル化の進展が大きな要因として存在します。
さらにクロスボーダー取引等の拡大に伴い、国内外の業規制への対応や大規模取引のサポートに関するニーズが増えていることも、戦略法務が存在感を増している要因と考えられます。
市場のグローバル化への対応
インターネットの発展等により、海外顧客を相手に事業を展開することが飛躍的に容易になりました。日本国内の企業にとっては、日本の人口停滞・減少や景気低迷などを踏まえて、海外市場へアプローチしていくことの重要性が高まっている状況です。
海外市場に進出する際には、現地の法規制への対応を含めた法的サポートが欠かせません。海外進出を志す会社が増えたことは、戦略法務の重要性が増していることと深く関係しています。
国内外の業規制への対応
2000年代以降、会社法制定や金融関連法令の制定・改正等に代表されるように、日本国内における業規制の整備が進みました。国内企業は、こうした法令改正によるアップデートに随時対応していかなければなりません。
さらに海外企業との取引が増えたことに伴い、海外法令の域外適用が問題になるケースも増加しています。国内外で安定して事業を運営するためには、日本・海外の両方の業規制を遵守する必要があり、戦略法務担当者のサポートが重要になります。
重要な取引に関するリスクコントロール
M&Aをはじめとする企業間の大規模取引が増えたことも、戦略法務の重要度が増した要因の一つです。M&Aは契約金額がきわめて大きく、かつ一度実行すると巻き戻すことが困難なため、慎重なデューデリジェンスが求められます。
また、M&Aを含む金額の大きな取引では、当事者間でどのようにリスクを分配するかも重要なポイントです。たとえば、M&Aのデューデリジェンスでは把握しきれない問題が顕在化した際に、売主と買主のどちらが責任を負うべきかは契約の規定によって決まります。
そのため契約交渉がシビアに行われ、契約書の分量も非常に多くなり、契約内容も専門的なものになるのが一般的です。M&Aのような大規模取引において自社の許容できるリスクの範囲を見定め、それを適切に契約書へと反映することは、戦略法務担当者に課された重要な使命と言えます。
戦略法務を担う法務担当者に求められる資質section
戦略法務の業務内容や目的などを考慮すると、戦略法務担当者には、以下の資質を備えている方を選任するのがよいと考えられます。
法的知見と経営に関する知見を併せ持っている
戦略法務担当者には、法的な観点のみならずビジネス的な視点をもって、会社をより良い方向に導くためのソリューションを提案することが求められます。法的な素養を持っていることはもちろんのこと、経営的な視点からも物事を考えられる人材は、戦略法務担当者として適任と考えられます。
担当領域について高い専門性を持っている
戦略法務がカバーする領域では、複雑・難解な法的検討を必要とする問題が数多く発生します。複雑・難解な法律問題に対応するには、生半可な知識では足りず、その領域に関する高い専門性が必要です。
たとえば特定の業界で法務担当者として長く経験を積んできた方や、企業法務系の大手法律事務所で経験を積んだ弁護士などは、戦略法務担当者としての適性を備えていると考えられます。
豊富な人脈を持っている
戦略法務には、最先端の法律実務を踏まえた対応が要求されるケースも多いです。自分たちだけの検討に限界がある場合は、実務の最前線で活躍する弁護士にアドバイスを求めるなど、外部連携の必要性が生じることもあります。
その際、従前のキャリアにおける人脈を活用することができれば、スムーズに外部弁護士等のサポートを受けられるでしょう。また、政財界に人脈を有していれば、ロビイングを行う際にも有利に働く可能性があります。
戦略法務担当者は、単なる法務担当者ではなく、経営者に近い立場で役割を果たすべき場面も想定されます。その際に活用できる豊富な人脈を持っている方は、戦略法務担当者として求められる資質の一つを備えていると評価できるでしょう。
経営陣に対して忌憚のない意見を述べられる
戦略法務担当者には、会社の冒険的な取り組みをサポートするために、経営陣と緊密に連携することが求められます。戦略法務担当者が独立した視点から、経営陣に対して率直な意見を述べることができれば、会社にとってより良いアイデアを生み出すことに繋がるでしょう。
立場の違いに萎縮することなく、経営陣が相手でも忌憚なく意見をぶつけられる「度胸」「自信」といった要素も、戦略法務担当者が備えておくべき資質の一つです。
戦略法務を担当するのは法務部の弁護士か外部の弁護士かsection
戦略法務を効果的に実践するには、法務部と外部弁護士が有機的に連携することが大切です。法務部・外部弁護士は、その立場の違いから、それぞれ得意なことと不得意なことがあります。戦略法務の体制を整備する際には、それぞれの得意分野を生かした役割を任せるようにアレンジを行いましょう。
法務部が戦略法務を担当するメリット・デメリット
法務部が戦略法務を担当することの主なメリット・デメリットは、以下のとおりです。
法務部が戦略法務を担当するメリット
①機動的に法的検討を行うことができる
経営陣や所管部とすぐにコミュニケーションをとれるため、スピーディに法的検討を行うことができます。
②社内事情に精通している
会社の従業員であるため、社内事情を踏まえた検討を行うことができます。
<法務部が戦略法務を担当するデメリット>
①専門的な検討は十分にできないことが多い
人員・情報などの面でリソースが十分でなく、専門的な検討を行うだけのキャパシティがないケースが多いです。
②経営陣に対して萎縮してしまうことがある
会社の従業員という立場が災いして、経営陣に対して率直な意見ができないことがあります。
③労働時間の制約がある
労働基準法によって労働時間が制限されているため、繁忙期や大規模取引が予定されている際に、短期集中型の対応を行うことが難しい面があります。
外部弁護士が戦略法務を担当するメリット・デメリット
外部弁護士が戦略法務を担当することの主なメリット・デメリットは、以下のとおりです。
外部弁護士が戦略法務を担当するメリット
①専門的な法的検討を行うことができる
様々な案件の経験を生かして、専門的な法的検討を行うことができます。
②大規模取引にも対応可能なマンパワーを確保できる
大規模~中規模の法律事務所であれば、弁護士を複数アレンジして、膨大な調査や書類の確認が必要な大規模取引にも十分対応できます。
外部弁護士が戦略法務を担当するデメリット
①回答までに時間がかかるケースがある
複数の会社から依頼を受けることが一般的なため、質問回答を得るまでに時間がかかるケースがあります。
②弁護士費用が高額になることがある
戦略法務の外部弁護士費用は、タイムチャージ制が採用されることが多いです。
この場合、外部弁護士の稼働時間が増えれば増えるほど、弁護士費用は高額になってしまいます。
③社内事情に疎い場合がある
会社の従業員ではないので、社内事情に精通しておらず、アドバイスが的外れになってしまうことがあります。
まとめ
戦略法務は、会社の経営上の施策を積極的にサポートすることを主眼としています。
戦略法務担当者には、法的な視点のみならず経営的な視点にも立って検討を行い、経営陣に建設的な提言をすることが求められます。
法務部と外部弁護士が適切に連携すれば、効果的に戦略法務を実践可能です。
会社として積極的な施策に打って出る際には、戦略法務の適性を備えた人材を内外に確保して、しっかりとした土台を築いたうえで検討を開始しましょう。